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トイカメラ 東京メトロ ブログ

トイカメラで東京メトロの旅を撮った写真のサイト

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【今回の乗車線】


【今回の使用カメラ】

現在、日本で販売が終了したAGFA sensor 505-Dです。


昨日の写真の続きです。浅草仲見世付近で昼食をしようと歩きましたが、自分が食べたい(予算の都合上高い物が食べれない)物が無かったので、浅草六区付近 まで足を運んで探すことにしました。それで、浅草六区付近も久し振りだったので、ついでに写真を撮ってきました。使用カメラはAGFA sensor 505-Dです。









▲この辺はキレイに整備されてますが、それでもレトロな感じがしました。


▲整備されていながらも懐かしい光景、欽ちゃんの看板、昔からやっていそうな喫茶店、ここにしかない空間がここにありました。


▲何気に置かれたドナルドダックです。


▲浅草演芸ホールです。


▲これに頭を通せば、昔の浅草の人になれます。


▲「誇る味見 豊かな栄養」という、何ともレトロな感じがする看板です。


▲レトロな浅草ワールドが見れそうなので行ってみたい舞台です。


▲浅草ロック座です。


▲最近見かけなくなった名画座です。


▲東京の下町を言うと、やはり寅さんですよネ。


▲下町のディズニーランド(?)の花やしきです。

浅草六区もかなり整備がされキレイになった印象があります。しかし昔の空気を残しているので、こういう感じの町並みの変化は大賛成です。浅 草六区を十分に楽しめました。食事の方ですが、残念ながら自分が食べたい物がなく、仕方なく歩いて上野方面に向かいました。予算があれば、この浅草で食べ たい物を食べたんですが、それが無理だったので仕方がありません。今度来た時は予算をたくさん持ってきて、美味しい浅草ならではの食べ物を食べたいと思い ます。

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▲AGFA sensor 505-Dとは外装違いの同一製品のトイデジです。

▲描写が黄ばんでいて、写った動画が8mmムービー(こちらをクリックするとムービーが見れます)という、新間隔のトイデジタル8mmムービーカメラです。

今は無き110フィルムのような写真が撮れるトイデジ、デジタルハリネズミの最終モデルのデジタルハリネズミグルです。

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東京メトロの歴史は、1920年(大正9年)8月に「地下鉄の父」と呼ばれる早川徳次によって設立された東京地下鉄道株式会社から始まる。「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチフレーズに1927年(昭和2年)12月30日に浅草ー上野間で運行を開始した路線を作った会社である。この路線は、1934年(昭和9年)6月21日に銀座ー新橋間の開業で全線開通となり、1934年(昭和14年)9月16日には渋谷ー新橋間の地下鉄を開通させていた東京高速鉄道と直通運転を開始している。この路線が現在の銀座線である。
その後、東京地下鉄道株式会社は京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄の横浜以東の路線を作った会社)、湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄の横浜以西を作った会社)と合弁する契約を1936年(昭和11年)に締結し、合弁会社である京浜地下鉄道株式会社を1937年(昭和12年)3月1日に設立する。そして京浜電鉄鉄道株式会社が東京地下鉄道株式会社の筆頭株主となる。
1939年8月1日に東京高速鉄道の代表である五島慶太が、京浜電気鉄道、東京地下鉄道株式会社の株を買い占めたことが発覚する。その結果、両陣営による東京地下鉄道の経営権争奪戦が起こる。この問題は、1940年(昭和15年)8月13日に鉄道省が中に入り、調停が行われることで決着がつくことになる。結果、早川は相談役に退き、東京地下鉄道の経営から事実上撤退を余儀なくされる。そのことにより、経営権は東京高速鉄道が握ることになった。ただ、五島は東京地下鉄道の役員になることは許されなかった。
1941年(昭和16年)9月1日に戦時統制により、東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道は帝都高速度交通営団(通称・営団地下鉄)へ統合された。
「営団」とは第二次世界大戦のための国家による統制管理目的の特殊法人で、経営財団の略である(他には住宅営団、食糧営団などがあった)。そのため、終戦後に存続の危機に襲われたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)はその運営が戦争目的ではないと判断し、存続を許した。結果的には他の営団は解散または公社化されたため、唯一の営団となった。そのため、営団と言えば東京を走る地下鉄の名称として、本来とは違う意味で親しまれるようになった。営団地下鉄という名称で呼ばれることも多く、これが会社名と思っている人も多かった(そのため、プリペードカードなどには帝都高速度交通営団ではなく営団地下鉄と明記されていた)。
戦後は、東京都と日本国有鉄道(国鉄。国鉄分割民営化後は日本政府)が出資する特殊法人として存続することになるが、運営そのものは日本民営鉄道教会の所属として私鉄に近い形で行われた。
2001年12月に小泉内閣が特殊法人の民営化を閣議決定し、営団地下鉄もそれに含まれることになった。そして2004年4月1日に日本国政府と東京都が出資する東京地下鉄株式会社法により解散され、特殊会社として東京地下鉄株式会社(東京メトロ)となった。現在は、2009年(平成21年)度までに、株式上場を目標としている。

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▲これが当時の開通した上野ー浅草間の地下鉄のポスターです。「東洋唯一の地下鉄道」がキャッチコピーでした。日本の商業美術の第一人者である杉浦非水の作品です。
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